はじめました。

プロフィール

脱サラ就農して6年目の39歳。

京都生まれ、京都育ちの僕が愛媛の山奥でトマト農家になりました。

妻と2歳の男の子と猫とメダカと暮らす日常を綴っていきます。

結婚して移住

30歳で結婚し、マイホームを夢見て土地代が安いと噂の愛媛(妻の地元)へ移住を決意しました。

愛媛で会社員として働き出世したものの、上司がほぼ働かず、引っ込み思案なので文句も言えずに1人で2人分の仕事をこなしていたんですね。

そうするとある時仕事中に自然と涙が出てきて、どんどんネガティブになり心がポカンとしてしまい、結果「鬱」になってしまったのです。

鬱と闘う

鬱で何をすれば良いか分からない日々を過ごし、それでも治したい思いもありますので、どうすれば良いか調べているうちに「筋トレが良い」との答えにたどりつきました。

少しずつ筋トレをしていくと徐々に鬱も回復して、これからの人生について考えはじめたんです。

退職、農業の研修へ

この先ずっと会社員として誰かの下で働く人生で良いのか、と考えたのち、どのみち今の会社では働いていられないので退職をしました。治療を受けながらもずっと夢だった農業をしたいと思い色々調べていると「研修を受けながら生活費がもらえる制度がある」とのこと。

これだ!と思い妻に相談をして(いたつもりだったんですが、当時はまだ鬱もあり、気づかなかったんですが自分で勝手に決めていたらしく後に離婚の危機を迎えます)ひとり、農業の研修を受けに久万高原町へ面接を受けに行きました。

離婚の危機から就農まで

退職は納得してくれていたものの勝手に農業がしたいから研修を受けに引っ越しする、なんて誰が聞いてもおかしな話で、妻からしたらたまったもんじゃありません。

僕はやっと事の重大さに気づき、妻とご両親とお話をし、農業をさせて下さいとお願いをし、その後研修を受けに引っ越しをしました。(妻とは別居生活の始まりです。)

研修中、妻の両親宛に現在受けている研修の内容を写真付きで手紙を書き、それとは別に「施設代や機械代はこれぐらい必要で、何%の補助金が出ます、生活費がこれぐらい掛かるとして収入が大体○○円は稼げる計算なので生活はしていけます」と、グラフなど資料も作り度々知らせていました。

妻に対しては毎週末会い、直接現状と将来の展望を話しました。

2年の研修も終わりに近づいた頃、この時点では妻もこちらに何度か来てくれていたし、2人で住む家も決まっていたんです。

補助金を使い古民家を改修して住むので、妻に壁紙やら間取りはどうするなど決めてもらい、とにかく妻が住みやすいようにしてもらいました。

僕からしたら一世一代のワガママで農業をやらせてもらうので、それを許してくれて、山奥まで来て一緒に住んでくれる妻は本当に女神様です。

その妻が住みやすいようにするのは当たり前ですもんね。

幸せな時間

研修を卒業して晴れて農家になった訳ですが、今では妻と2人で同じ時間を過ごし、同じ仕事をしてくれて、時間は掛かりましたが子どもにも恵まれ、本当に幸せな日々を過ごしています。

農業は素晴らしいです。

好きな時に休めます。

好きなだけ働けます。

努力した分植物は応えてくれるので、努力した分だけお金になります。

僕は全量農協出荷なので手数料などであまり稼げませんが、やり方次第ではいくらでも稼げます。

農業、いいですよ!

(家族にはしっかり相談をし、理解を得てくださいね!)

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